#13 嗚呼、美しき哉、近藤一樹
人間は、絶望の淵にいる時に救いの手を差し伸べられると、その温かみをなかなか忘れることができない生き物だと思う。
シーズン96敗という、絶望的に弱かった2017年のヤクルトの中にあって、最も絶望を感じた瞬間のひとつ、まさに「絶望 オブ 絶望」とでも言うべき出来事が、6月30日甲子園での阪神戦で起こった。
防御率4.56の救世主
1点リードで迎えた9回裏。マウンドの秋吉はランナーを1・2塁に背負うも、2アウトまでこぎつけ、代打の原口を迎える。
しかし、カウント1-2からの1球は西田のミットから大きく外れバックネットへと転がっていく。秋吉は、明らかにどこかを痛めた苦悶の表情を浮かべている。
ランナーはその間に2・3塁に進んでいた。
あぁ、終わった。
畠山も川端も雄平もいない。石川も勝てない。この日先発のブキャナンでも勝てないのか。そして抑えもいなくなってしまっては、この先一体いくつの星を拾えるのか。
テレビからは解説者の「チームの崩壊」という言葉も聞こえてくる。普段なら「何を言いやがるか!」と食ってかかるところだが、おっしゃる通りで耳を塞ぎたくなる。
そこに現れたのが、近藤一樹である。特段厳しい表情をしているわけでもなく、リリーフカーを運転するお姉さんに軽く手で礼を示した後、いつも通り跳ねるようなステップで右足からラインを跨ぎ、マウンドを強く蹴って慣らしていく。画面には「22試合1勝0敗 防御率4.56」という、中継ぎ投手として数字的にはイマイチな成績が表示されている。
おそらく肩を作る時間など無かったであろう。ああ、無理だ。ストライクなんか入らないよ…入ったとしても原口に痛打され、サヨナラ負けするスワローズしか想像できない。
そんな僕の想いとは裏腹に、近藤は1球目の外角スライダーで原口から空振りを奪い、人差し指を天に向かって突き上げていた。
実況の寺西アナが言った。「近藤が勝ちました!」と。
そう、ヤクルトが勝ったのではなく近藤が勝ったのだ。
繰り返されるDVピッチング
近藤一樹は不思議なピッチャーだ。
スワローズ初登板を神宮で観た。その日は2016年の燕パワーユニを着ていてオールドスタイルだったから余計に蹴りあげた右足が高く上がるのが目立った。
「ああ、この人かっこいいな」
くらいにしか思っていなかった。
2017年のオープン戦あたりから、リリーフが板についてきて、より強気の投球が目立つようになり俄然その存在が気になりだす。
開幕から1ヶ月以上過ぎた5月11日の広島戦。2点リードの6回1アウト1・2塁で石川からマウンドを引き継ぎ、エルドレッドと新井を抑えた"防御率0.00の近藤一樹"を観たときには、もう僕の心は近藤に染まりかけていた。
そして、前述の阪神戦で完全に染まりきったのである。
だが、待て。5月11日に0.00だった防御率が、なぜ6月30日には4.56なのだ。
答えは簡単で、近藤一樹は打たれる時は派手に打たれてしまうからだった。
絶対絶命のピンチを抑えたかと思えば、ビハインドや同点でマウンドに上がるとヒット・フォアボールでランナーを貯めたあげく一発を喰らう。あるいは一打サヨナラの場面で出てきて、見事にホームランを打たれる。
その度に僕は、絶望から救ってくれた近藤を思い出してつぶやく。「近ちゃんは、こんなもんじゃないんだ。今日はたまたま調子がイマイチだっただけなんだ。」
こんな風に好投と不調を短期間で繰り返し、ファンの心を弄ぶ(本人はそんなつもりはないだろうが)投球を、僕は"DV(ドメスティックヴァイオレンス)投球"と呼んでいる。
世の中には男から暴力を受けたり、金をせびられたりしても「この人は本当は優しい人なんです。」なんて言って恋人として傍に居続ける女性がたまにいて、僕は「そういう気持ちは理解できない」と思っていたのだが、なんだ、全く同じじゃないか。
2018年はさらに一段と調子をあげ、2017年の「なんでもかんでも近ちゃん登板」から昇格し、勝ちパターンの一角に名を連ねた。しかし、相変わらずのDV投球は続く。
交流戦最終戦。ソフトバンクのあの柳田を三振に取った後に上林に逆転弾を浴び、交流戦防御率0.00も、チームの勝ちも失った時は、「これぞ近藤一樹。」と変に納得したものである。病気かな。たぶん病気です。
思いきりの良さと表裏一体の儚さ
近藤一樹は、ヤクルトに来る前のオリックス時代に、故障が続き一時であるが育成契約となったことがある。
実は満身創痍の体なのだ。だが明らかに「登板過多」の状態で投げ続けている。
僕は近藤一樹がマウンドに上がるたびに心のどこかで「近ちゃんを見るのはこれが最後になるかもしれない」と、ほんの少し思っている。
近藤一樹のあの躍動感のあるフォーム。アウトを取った野手を、ビッと指さす姿。
なんと格好いいことか。
どこかの記事で2017年まで投手コーチを務めていた伊藤智仁さんが「近ちゃんは、エイヤッ!で投げてしまうクセがある」と言っていた。プロで15年以上やっている投手が言われる台詞ではないと思うが、そんな”完成されていない感じ”にも心奪われる。
全てが美しく、画になる。
ブルペンから投げるまでのルーティーン
だからこそ、あまりに美しい分だけ、ある日突然に花火のようにパッと散って、僕たちの目の前からいなくなってしまう…そんな儚さを感じるのだ。
Beautiful Now
近藤一樹がマウンドに上がるとZeddのBeautiful Nowがかかる。
Zedd - Beautiful Now ft. Jon Bellion
4つ打ちのトランシーなビートに神宮球場が沸く。
(僕は応援団にはトランペットをやめてもらってヤスアキジャンプみたいな名物にできないか?と考えていますが、またそれは後日。)
歌詞にこんな一節がある。
We'll light up the sky, we'll open the clouds
Cause baby, tonight, we're beautiful now, we're beautiful
(僕らは空を照らして雲を切り裂いていく
だって今夜、今この瞬間、僕らは美しい)
近藤一樹は17年に渡るプロ野球生活のことを聞かれ「長く期待に応えたい」という反面、「生き残ってしまった」とも語っている。
故障で長く投げられなかった日々を過ぎ、今おそらくプロ生活一番の円熟期を迎えている。35歳で…である。
だから、後先のことは考えず、今この瞬間に美しく輝く事を大事にしているように見える。
今日も空を照らし雲を引き裂くような輝きを放ち近藤一樹は投げる。
それが一瞬の閃光であったとしても、もう怖くはないのかもしれない。
↓↓楽しくお読みいただけましたら、よろしければポチッとお願いします。